海鳴りの相手

高校生の頃、ふたつの『海鳴り』という曲が好きだった。
ひとつは今聞いても恰好良いと思う伊勢正三の『海鳴り』
アコースティックギターの前奏が堪らない。前奏だけでも何度も聴いていたい。
ちょうど色気づいて、バイクからファッションに興味が移る時期だった。

そしてもうひとつはショーケン(萩原健一)の『海鳴り』
こちらは井上堯之の作曲だが、井上堯之バンドらしくない哀愁のエレキギターだ。

私が良く口ずさむのはショーケンの『海鳴り』だ。
勝手に好きなフレーズだけを口ずさんでいるので、ここに載せても良いかと思う。
※歌詞の途中が抜けています。

『茜雲、遠く流れ、冬支度してる浜辺の空
思い通りに生きたけれど、
語り尽くせぬ人生を、誰に告げればいい
海鳴りよ、教えておくれ』

浜の空の茜雲も、台風が過ぎていく時の極彩色のオレンジ色の空も見てきた。
未熟な感性の中に様々な太平洋の空の色をこの眼に焼き付けてきた。

今でも『海鳴り』を口ずさむたびに、あの空と海を思い出せる。

当時、語り尽くせぬ人生を誰に告げれば良いのかと、あれこれ考えた。
高校生の私は、毎日が楽し過ぎて、まるでリミッターが外れた状態だった。
そんな私にそのフレーズは難解で、だからこそいぶし銀の味わいで、まあ、いわゆるクールで、よく親友の前で歌っていた。

あれから半世紀近くもの時間が過ぎ去った。
改めて、語り尽くせぬ人生ってと考えてみた。
そして、私の場合、海鳴りにそんな問い掛けはしないと結論付けた。

無理に言えば、人事を尽くして天命を待つ。かな。
誰でも人生に対する考えや思い、その感慨は複雑なものが普通だろう。
だからこそ、語り尽くせぬなんて女々しく言い訳がましい言葉に、いつの間にか魅力を感じなくなっていた。
時を経て、そんな境地になっていた。

最近数年振りに親友から、いきなりの電話が有った。
着信の登録名を見て、一瞬、「んっ!」となったが、
「おうっ」と出た。
親友も「おうっ」と応える。
その瞬間に数年間の空白はどこかに消えている。
親友は一言、「どうだ」と言った後、最近登山にハマっている近況を滔々と話し始めた。
で、「お前も行くぞ」と、勝手に私を山に連れて行こうとする。

私はセンチメンタルの欠片も無い親友を、やはり「良いなぁ」と思った。
剣道と居合を極めながら、いい歳をして、こんどは山かよ。と。

私としては、こいつに何か言われると、駄目だと分かっていても「闘争心」がムラムラと湧いてきてしまう。
子供の頃からよく喧嘩をしながら、海でウニやアワビ獲りを競い、波乗りで競い、剣道で競った。もちろん徒競走から野球、サッカー、プロレス、相撲まで。

はっきり言って、負けた記憶は無い。
本当に馬鹿だけど。
大人気ないけど。

でも、阿吽の呼吸のあいつがやろうとしているなら、やらざるを得ないか。

まずは、朝のウォーキングから。
『海鳴り』を口ずさみながら、あいつに話しかける。
もう、語り尽くす事なんてねぇよな。
そのかわり、いつでも相手になってやるよ。お前の相手は俺くらいしかいないからな。

ゆう

コラム一覧へ戻る
採用情報