自分教?

稀にだが、「根拠の無い自信がある」という言葉を耳にする。
かく言う私もそれを口にしたことが有る。
思うに絶対的な自信を控え目に表現する場合と、定められたゴールへ到達する道程を上手く説明出来ない不安を振り払うかのように使われる場合があるのかも知れない。
その人の人柄によってはその言葉が信じられるものになる。
それは、その人の「やり遂げる」という覚悟を感じる場合だ。
そもそも何に対しても覚悟と責任感を持っている人は、出来ない事に「自信がある」とは言わないだろう。

もう大分前の事になるが、私が営業として日々奔走していた頃に、以前の部下であり私の優秀な右腕だった者から「会いたい」という連絡が有った。
私がその古巣を離れてから結構ブランクが有ったので、時間を調整して夜の駐車場で彼と会う事にした。私は彼と仕事をしていた頃、若く強権的な上司として優秀な右腕である彼をこき使っていた事を思い出しながら、待合せの駐車場に向かった。
建設中の道の駅?のような建物の駐車場で明かりも乏しく、私の不安を表すように暗い剥き出しの地面の駐車場に、私はゆっくりとクルマを乗り入れた。
ほどなく駐車場の真ん中に停まっているクルマの横に立ち、私を待っている彼を見付けた。私はクルマを彼の横に停めてエンジンを切り、クルマを降りた。
「お久しぶりです。お変わりありませんか?」と聴き慣れた声。
「いやー、ご無沙汰しちゃったね。」と私。
簡単に現在の仕事の事などをお互いに話した後、彼は私に会おうとした理由を語った。

時の大物政治家肝いりの、とある「会」に私を誘いたかったようだ。
彼は「会」のその地区の支部長とのことで、私がその「会」に参加すれば、以前のように仕事の話やプライベートで、昔のように楽しい時間が作れるだろうと力説してくれた。

私はひととおり彼の話を聞いて、その「会」の活動のひとつで、休日に砂浜のゴミ拾いなどもしていることなどに頭が下がる思いがした。何よりも彼やかつての仲間たちとの時間は途轍もなく魅力的だった。

私の答えを待つ彼に対して、私は出来るだけ不作法に背広のポケットから煙草を一本だけ抜いて不機嫌な口に咥えた。彼はまるで昔に戻ったようにポケットからライターを取り出して、私の煙草に火を点けた。

私は大仰に煙を吐き出しながら、「悪いな。俺、自分教なんだよ。」
彼の眼を見る。落胆か憐れみか、彼が少し眼を細めるのが分かった。
「政治とか宗教とか、お前の言うそういう会の事はそれなりに勉強した。しかし、今の俺は『救い』を求めていない。これからもそのつもりは無い。」
彼は振り絞るように言った。「自分教? ですか。」
「うん。」
私は誘ってくれてありがとうと礼を述べ、昔のように「じゃあな」とクルマに乗り込もうとしたが、彼は慌てて、「わかりました。では最後に食事だけでも」と追い縋って来た。
2人で近くのレストランへ向かい、奢らせてくれという彼の申し出を受けて、土地の名物の魚料理を食べて別れた。

帰り道、クルマの中で自分の口をついて出た「自分教」という言葉について考えていた。元々無頼を気取るつもりは無い。毎日頭を下げまくっている営業マンだ。

何と厚顔不遜な言葉だろう。自分教だなんて。
利他的を求められる営業マンがおよそ口にする言葉ではない。
超自己的で利己的な言葉ではないか。
知り合いの和尚さんに聞かれたら、天罰ものだ。と叱られるだろう。

私は吉川英治さんが書いた宮本武蔵の一場面、武蔵が京の吉岡道場との最終決戦に臨む場面を思い出していた。
武蔵が恐怖と不安のあまり、小さな祠に向かい勝利を祈念しようとして、雷に打たれたように思い止まった。そして改めて自分に誓った、神仏に頼る弱い心を捨てる。と。
小説では、「我、神仏は貴べども頼らず。我、依怙の心なし」とある。

私は武蔵のような達人では無いが、だからこそいくつもの壁にぶつかりながら生きている。その時、「神様、仏様、お助け下さい。」とは思う。
しかし、壁を前にして周りを見渡してみても、そこに居るのは自分だけだ。
厳しく、寂しい考え方だとは思うが、それが現実ならば、自分を信じるしかない。

そうしている内に、ある時からその考え方が楽しくなってきた。
もちろん使える物は、親でも使う。
しかし、頼りはしない。
自分のマネージメントは自分でするという事だ。
それは闇雲に自分を肯定するという事ではない。
自分なりの正義と、心に有るおもいやりが認めるならば、「自分教」も筋を通せるかも知れないなと。
右腕だった彼には本当に申し訳ないが、自分教ねえ。と、気に入り始めていた。
その私なりの変な考えを後押しするように、カーステレオからは中島みゆきの「ファイト‼」という曲が流れていた。私はカーステレオのボリュームをグッと大きくひねった。

そして、中学の時に大会優勝の記念にもらった武者小路実篤の絵皿に書いてあった「この道より我を活かす道無し、この道を歩く」と声に出して何度も繰り返した。

眼の前に有るものは、壁なんかじゃない。
ただの階段だ。

ゆう

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