食へのこだわり

先日、母と姉に老舗のすき焼きをご馳走することができました。

向かったお店はお世話になっている上司に連れて行っていただいたことがあるお店でした。近頃、忘年会や新年会などの席で自分ばかり美味しい物ばかり食べている気がしていたので、念願の家族を連れて行けた喜びと共に、喉に刺さった小骨が密かに取れた気分でした。

今でこそ色々な食べる喜びを知りましたが、思えば昔の自分は倹約家の如き食生活でした。
学生の頃の主食はバターロールやスティックパンといったとにかく安くて量が多い菓子パンで、休日も箱買いしたカップ麺を一つ食べられれば幸せすら感じられていました。外食するときも必ず見知ったチェーン店で、クーポンで如何に安く済ませられるか。その日のクーポン情報を見比べて食べるものを機械的に決めることも少なくありませんでした。チェーン店以外は値段も高くて味もギャンブルだからもってのほかで「お腹さえ膨れれば何でも良い」と思っていて、そういった考え方に疑問を抱くこともありませんでした。

そんな私を、大学の頃の友人たちが色々な飲食店へ連れて行ってくれました。
「仲間の間で美味しいと評判なら、ちょっと高いかもしれないけど」と最初は渋々…。そのうち「前に教えてくれたお店も美味しかったし、こいつらがオススメするなら」と信じて放課後に遠くのお店まで足を運んだり一緒に新しいお店へ挑戦したりと、次第に外食への敷居の高さや抵抗感が減っていったのだと思います。

後から思い返して、食事はとても素敵なコミュニケーションツールだったと感じました。
食事は老若男女が営むもので、初対面の人とでも気軽に一緒に楽しめます。
みんなでそのお店の雰囲気や味など様々な話題を共有して盛り上がることができます。
内装がオシャレだとか店員さんがめちゃくちゃ可愛いとか話したり、何が出てくるのか皆目検討もつかない写真のないオリジナルメニューの当たり外れに一喜一憂したり。五感を使うことになる食事はより強く記憶に残り思い出になりやすいという面もあります。
そうして、面白いお店があったことを別の友人に共有して、コミュニケーションの輪が広がったり遊びに行ったりするキッカケになることが、とても素敵に感じられました。
気付けば、一人の時間に面白い飲食店がないか自分でも調べるようになっていました。

そうして培った食へのこだわりは思いがけず社会人になっても役立つことになりました。
現場では皆思い思いにランチに出掛けますが、ある日私が良いと感じた店を皆に紹介しました。
たかがランチですが皆と同じ釜の飯を食べることによって、ある種のコミュニケーションが図れたと思いました。
まだまだ「それなりの」ですが、経験を重ねることで食へのこだわりや魅力を知る事が出来て、自分なりに感慨を深めています。
あのとき私に食事の素晴らしさを教えてくれた友人たちに感謝しています。

こう

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