アイデアの源泉

急にアイデアを出してくれと言うと、殆どの人が俯いてしまう。

長年従事してきた業務に関する事でも、何か新しい事や、サービス、製品、または付加価値を上げる為にと問うと、「うーん」と悩んでしまう姿が想像出来てしまう。

どうしたらアイデアが出てくるのか、どうしたら新製品、新サービスを考えられるのか。

例えばトレンド系の雑誌や書籍を見たり、ネットで何かを検索すれば何かしらのアイデアが見つかるのか?

アイデアをいとも簡単に口にする人は、いったいどんな思考回路でそれを形にして口に出せるのか?

なかなか悩ましいね。

有名な絵画で「ミレー」の「落ち穂拾い」がある。

私が社会人になった時、その入社した企業の社是のひとつに「落ち穂拾い」というものがあり、職場のあちこちに額に入ったその文字が掲げられていた。
落ち穂拾いとは、農園で収穫の後、落ちている穀物の穂を小作人が数パーセント拾う事を認められていたものらしい。

しかし、その企業の社是の意味は、その企業の文化として「失敗から学べ」という事だと教えられた。
ある日の業後、上司に食事に連れて行ってもらった。
若造が足を向けるのも憚られる「煉瓦亭」という超高級ステーキのお店。

入店して、上司である部長に言われた。
「オメエらだけで来るんじゃねえぞ」
「はい。こんな高そうな店、1か月の食費が吹っ飛んでしまいます。」
部長は満足そうに、メニューも見ずに料理と酒を注文した。

私は眼の前で焼かれる見た事も無い肉に心を奪われていた。

その時、部長が「落ち穂拾い」の解釈だが、と話し始めた。
私は心半分、部長の話に耳を傾けた。
「あれは、アイデアの源泉という意味なんだ。」
私は眼だけで、えっ、どういう意味ですか?と。
「要はドブ浚いだよ。」
「そこに大切なものが有るかも知れないという事ですか?」
「うん。理解が早いね。」
いいや、何も分かっていない。のだが。

失敗に学ぶと教わった事は、それはそれとして。
さらに落ち穂の中に金が見つかるかも知れないのだと、部長に教えられた。

何よりもそこに手を入れる姿勢が大切なのだと。

確かに、砂金でも探すのなら手も入れようが、何が有るか分からないドブに人はなかなか手は入れないだろう。

それでも手を入れようとするのは、現実にはよほどの柔軟さと機転が必要だ。

私は美味しい料理と酒とともに良い事を教わったと思った。

後に水平展開とか重層視点とか標準化とか理屈っぽい業務用語が持て囃されたが、要は「落ち穂拾い」。

私なりに、そこに「自由さ」を付け加えさせてもらっていた。

開発を通して技術力を高め、知識と経験を積み重ねて、その力をどう展開するか。
展開とは、企画・発案。その突端に有るのがアイデアだ。

先ずは難しく考えない。たかがドブ浚いだ。
便利、助かる、欲しい、そして面白い、喜ばれる、社会の為、etc.
自由に。

実は、アイデア自体はさほど問題では無い。
問題は人を納得させる表現力とプレゼン力だ。
その仕組みなりを言語で形にする能力が問われる事になるだろう。

「アイデアの源泉」なんて、実は誰の頭の中にも既に存在する。
出すか、出さないか。それだけだと思う。

将来、請負だとか自社開発だとか、IT企業として理想の目標が有る。
その時、企画部なんて大げさな物は要らない。
ひとりひとりの頭脳が可能性を秘めている。

私は普段からワクワクしながらアイデアを育てているつもりだ。
子供の頃に憧れた、「発明」は難しいとしても、技術者の端くれとして、
今まで培ってきた経験を活かさない手は無い。
最初から金の鉱脈など探さなくて良い。
ワクワク出来るだけで充分。
面白い職業に就いてきた事に感謝している。

ゆう

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