社会人になって二年目。私は担当するシステムの詳細フローチャート作成とそのコーディングに日々追われていた。家に帰るのは毎日午前1時か2時で、その内夢の中でプログラムのバグを見付けたりした。
日々の業務を熟しながら、一方で私は新しい技術や知識の習得に渇望していた。
案件の元請けとしてシステム開発やプロジェクトの推進をしていて、同僚の中には難易度の高い箇所を協力会社の技術者に任せてしまう者がいるところを見るにつけ、プロパーと協力会社の技術力のドーナツ化現象に強い危機感を感じたからだ。
それで私はインターネットの無い時代、技術雑誌や技術書を漁るようになり、所属部で取っていた工業新聞や電気新聞を読んだり、朝6時から始まるテレビの技術ニュースなどを観るようになっていた。
特に朝6時から始まるWBSには、どんなに眠くても観る価値が有った。世界の潮流、技術の潮流、つまり「トレンド」という言葉を23歳で初めて知った。
自販機のコーヒーを買って、煙草を咥えながらスポーツ新聞を広げている始業前の長閑な風景の傍らで、今朝観た技術ニュースを先輩とあれこれ議論する楽しい時間だった。
元々純文学から推理小説まで読書が趣味であった私に、先輩方はビジネス書を啓発本を勧めてくるようになった。小説を読む合間に先輩から回ってくるそれらの本を読んでみるのも良いかなと。当時のベストセラーあたりからポツポツと読み始めてみた。
しかし、当時はテレビから入ってくるアメリカのシリコンバレーの状況の方が私には常に刺激的だった。アメリカのゴア副大統領が情報ハイウェイ(今のインターネットの原型)をどう推進するのか、シリコンバレーの変人達がそれをどう捉えているのか。とりわけマイクロソフトが次のOSをどうするのか、アップルがどんな製品を世に出してくるのか。
会社では経理用にオフィス・コンピューター、オフコンを作っていて、事務計算関連部門はそれに駆り出されていたが、そんなことはもうPCで賄う時代が来ているだろうと、会議で何度も発言したことを憶えている。
私は電気・運輸・交通などのインフラ系のシステム開発をしながら、IBMの汎用機を使って、CAD/CAMのシステム開発を急がされた。途中からIBMは使えなくなり、HITACを使用してCADによる制御系設計の基礎システムを完成させた。
私は自分のチームを任されると、様々なシステム開発に従事しながら、PCによるCADシステムを自分なりに作り始めた。そこで知り合いに頼んでCADシステムに必要なタブレットとスタイラスペンの試作を行った。現在はアニメーターが使う「板タブ」と呼ばれる機材の原型が出来た。工場の担当者の話では製品価格は10万円くらいとのことだったが、もちろん私は発案・製造協力者として2台ほどタダで貰った。
ただし、当時のPCのパフォーマンスでは、到底自由にCADソフトを作れるレベルでは無かった。
私は飽きっぽく見切りが早いので、次のターゲットを表計算ソフトにした。
しかし、それは当時のスーパーPCとでも言うべきワークステーション(横河ヒューレットパッカード社)のデモンストレーションをわざわざ高円寺まで見に行った時、マイクロソフト社のEXCELを見た瞬間に、私の表計算ソフトの構想は挫折した。
WORDとともに汎用的なソフトで、本当に見事だと思う。
で、次の目標。会議でロボットの話をした。
工場には複数の研究所と研究施設があるが、大部分は製造部門があり、そこには数多の職人さんレベルの人達が居る。
若い工員は油に塗れて修行の毎日だ。毎日3交代で標準製造時間に縛られ、私などは耐えられない。夜の12時に工場の食堂に行くと、ズラリと並んで黙々とヘルメットを逆さにしたような通称ヘルメットうどん(食堂のメニュー名は大うどん)を食べている。汚れた作業服に安全靴を履いて、ヘルメットを横に置いてヘルメットうどんを食べている。私達開発部の人間も残業時間に夜食を食べに行くが、工員の皆さんの中に入っていくのはいつも怖かった。似たようなデザインだが、私たちは作業服ではなく制服を着ていたし。
工員さん達は様々なラインで様々な製品を作られているので、それを何とかコンピューターの力で効率化・省力化出来ないものかと、CAD/CAMをやった人間として考えたいと提言した。
勿論、そうすべき箇所や可能な手順はあるだろう。しかし、と課長に言われた。
工場ラインの機械化は既に進められているし、人工知能による(例えば資材の歩留まり)もCAD/CAMで実現している。いずれもっと人工知能による効率的な作業の整流化もすすむだろう。とも言われた。
で、課長に連れて行かれたのが、伝説の職人さんのところ。
水力発電の部品を作成している部門だった。
水車ケーシングと呼ばれる、金属製のスクリューのような部品。
ただし、船のスクリューの3枚、4枚ではなく合計50枚くらいの羽だ。ああ、ジェット機のエンジンの吸入口にあるような羽の方が近いか。
それはダムの水流を利用して発電を行う為の金属製の羽だった。ほぼ常時に近く水流を受けて回転する為に精密の上にも精密な製品でなければならないという。
その製品を作る為に設計は勿論必要で、過去のデータや様々な運用データを検討して設計されるそうだ。
課長は私をその部門の職長に引き合わせた。
私の眼には近所の留さんのようなおじいちゃんに見えた。
しかし、水車ケーシングの完成にはその木村さんの(感というと怒られる)観が必要なのだと。完成した製品を木村さんが手のひらで撫でるようにして、最終的なOK/NGを判定するのだそうだ。
もしもNGなら、躊躇せず一から作り直しだそうだ。
近所の留さんにしか見えないガニ股の木村さんの神の手が日本の水力発電のインフラを支えているのだと。
開発部への帰り道、若かった私は課長に、だからこそ正しい機械化をすべきだと言い募ったが、課長は笑いながら、木村さんの手を越える装置を作る技術を人間は未だ手にしていないと言われた。
その帰り道に胸から機材を下げて、聴診器を持ち歩いているおじいちゃんに出会った。
課長が恭しく礼をする。私も軽く会釈をした。課長が、ちょうど良い。今度は神の耳だと私に言った。布施さんというおじいちゃんは、工場の製造ラインの保守をしているとのことで、持っている聴診器を製造ラインの可動部に当てて、しばらく機械の動作音を聞いている。で、そのラインの職長を呼び付けて何かに油を差せとか言っている。
私は課長に聞いた。他にもこういう人が居るのですか。
課長はニコっと笑顔になり、大きくうなずいた。
そして課長は君たちの努力によって、いつか神の【観】というものがプログラムに置き換えられる日が来るかも知れないね。しかし完全にそれが実現するまで、あと1世紀は掛かるかも知れないよ。と、研究所出身の課長が言った。
あれから半世紀近くが過ぎようとしている。
人間の手によって生まれるAIと、そのソリューションには素晴らしいものがある。
同時に人間の磨き抜かれた技も同様に素晴らしく、凄いものがある。
しかし、阪神、東北に続いて北陸で大きな震災が発生した。
元旦だというのに、被災した人は自然に対する人間の無力さを苦しみの中に痛感していることだろう。
テレビは右へならえで、本当に被災地の事を心配しているのか、視聴率を取る為に悲惨な状況をさらに悲惨に伝えているのではないか、カメラで映している時間が有るのなら、家屋の下敷きになったままの人を救う事を優先すべきではないのか。
政府や自治体のお偉いさんは、何を優先すべきか分かっているのか。
命を落とす必要の無い人がそこに居るのに、被災地が孤立しているとか、道路が使えないとか、水が無くて傷が化膿しているとか。
AIも人間の技も、何の為に。だ。
政権支持率の下落や、裏金問題の責任も、震災という多数の不幸な人達の出現を寧ろ幸いと捉えているのではないか。
だからこそ我々は強くならなければならない。
明日は我が身などと宣うなかれ。
我々の社是は、「正義とおもいやり」である。
決して明日ではなく、今、辛苦にあえぐ人を思いやれ。
そして正義の強さを発揮しろ。
考え方ひとつ。思いひとつ。それだけで己を強く成長させる事が出来る。
それこそが人間の「技」なのではないか。
ゆう