ことば

私は今、改めて日本語を勉強している。
今まで「開発」しかしてこなかった私が社長になり、「営業」の世界にも足を踏み入れた。
その世界では「言葉」が武器となり、鉾にも盾にもなるということを深く実感している。
ひとつの言葉にも裏の裏の裏の裏くらいまで考えられるようではないと、その言葉の真の意味を捉えて、勝ちに導く営業が出来ないと感じた。

その言葉の力を得る為に、語彙力や表現力、想像力、洞察力などを鍛えるためにはどうすれば良いのだろう。
そんなことを考えあぐねている時、ふと、ある俳句が頭をよぎった。
私でも知っている有名な松尾芭蕉の句。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

この俳句を知った当時小学生の私は「蛙なんだから水に飛ぶだろ」くらいにしか思わなかったが、今、改めてこの俳句を詠むとまるで自分がそこに居るかのようにその場面が眼に浮かぶようだ。

しかし、私がその場面を言葉にするとしたら
「夏の日に、庭の古池の傍らに小さな蛙がいた。何となく眺めていると、突然その蛙が池めがけて飛び込んだ。静寂の中に『ちゃぽん』という音だけが響いた」
くらいしか表現の術が無い。
頑張っても、芭蕉のように後世には残りようもない。
俳句や短歌や詩歌は、同じ言葉を使うにしても、そこに深い思索や哲学、そして技術的なセンスが必要なのかも知れない。
「ことば」に戸惑っている私に、さらに難易度が高いところを目指すのは荷が重い。

まずは、日本語としての文語体、口語体を正しく理解して、せめて報連相から、率先して皆の見本になれるように頑張りたい。

とは言え、何をどう頑張れば良いかも本当の意味で分かっていない。
今までまともに文章に向き合って来なかったからだ、恥ずかしい話だが、何かを読んで文章力を身に付け、語彙力とともに正しい「ことば」を口にする。という機会を自ら逃してきた。
身近に読むものと言えば、漫画の吹き出しか、ゲームの段取りくらい。

知人からもそれを指摘され、まず小説を読め。と言われている。
それを適当にやり過ごしていると、冒頭の言葉の問題がさらに大きくなって、取り返しがつかなくなる。最近、そんな不安を覚えることが多い。

流石に小説でも読んで、文章に親しみ、いずれ文章を味わえるようになろう。
そうすれば、今まで見えなかったものが少しずつ見えてくるのかも知れない。

そしていつか言葉を操れるようになりたい。

とも

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