世阿弥と利休

日本の歴史の中で、その活躍や存在、今に続く影響を文化面や精神面から私がリスペクトしている人物に世阿弥と利休がいる。

生きた時代、生き方は夫々違うものであるが、その功績は大きく知らない人はいない。
世阿弥は「能」の確立。「能」は「狂言」も生み、「猿楽」を「能楽」として今に伝える世阿弥の「洒落」とでも言うべきプロデュース能力は凄いものだと思う。
ある日たまたまテレビでやっていた「能楽」の「源三位頼政」の演目を見た。
基本形はタチ(主役)とワキ(脇役)の遣り取りを音曲に乗せて観せる。
幽霊として現れる頼政と、それに応える現僧の遣り取りの作品である。
素直に幽霊の想い、悔い、悲しみ、恨みから、暗い話かと思いきや、亡将の滑稽さや可愛いらしさが見えてくる。やがて古い能面に表情が見えてくるのだ。
世阿弥の言葉で有名なものに「秘すれば花」というものがある。
誤解されやすいようだが、この意味は秘するから花と読む。つまり、秘する間は花であるが、分かってしまえば単なる花でしかない。というほどの意味だ。
「能」とはつまり「仕舞」からなる様式美であると思っていたが、その様式の中にこんなにも細やかな表情を観せられるとはと驚いた。
是非実際に「能楽」を生で観てみたいと思った。
一方、利休であるが、こちらの方は何の説明をしなくとも、千利休。茶の湯の宗匠であることは誰でも知っているだろう。
しかし、利休の「心」というものを理解している人はどれだけいるだろう。
大阪・堺での時の権力者・畠山氏との付き合いから、戦国時代を経て秀吉に自死させられるまで、利休は一貫して権力や財力というものに靡こうとせず、冷ややかな眼を向けていたようだ。
戦国時代の最中、焼き物ひとつが城の価値と同等という異常な時代。
利休の目利きは何よりも価値を帯びた。が、利休は「わびさび」を貴んだと言われているが、わびだろうが、さびだろうが、それさえも気にしていた形跡はない。
つまり、利休の心には精神性の追求があった。しかも在るが儘という追求である。
要は人も物も自然に生かされているということを旨としていたようだ。
利休が道端に落ちている竹筒を拾い、適当に斜に斬って、それを「花差し」と言えば、
各大名達はこぞって大金を用意し、それを欲しがる。
骨董品を収集している方には申し訳ないが、利休にとって所詮茶器名物も同じこと。
確かに窯変天目や青磁など特徴のあるものに価値を見出すことは理解出来るが、利休からすれば、市井の民の生の中にこそ価値があり、「それがどうした」という根底の思いがあったのではないかと感じる。
相手を想い、一服の茶を献じる。
それは、立派に設えられた茶室の中で形式に従って行われることも、
暑い中を訪ねてきた客にもてなす一杯の冷茶でも何も変わりはないのではないか。
茶の湯を知らない私は、斯界の方からすればとんでもない薄学無知の者なのかも知れないが、そもそも「わびさび」に権威を持たせること自体が卑小だと私は思う。
「わびさび」は己が心で感じるもの。
私はそれで良いと思っている。

かつて旅先で、ホテルのフロントに用意された茶の湯の席で女将さんが入れてくれたお抹茶を人生で始めて飲んだ。
長時間クルマを走らせて喉の乾いていた私は前歯を緑に染めて、「うめぇー」と声に出した。
女将さんがニコニコ笑っているのを良いことに、私はおかわりを頂いた。
様式や作法など知らない。知る気も無い。
しかし、淹れてくれたお抹茶を心から旨いと思い、心から喜ぶ。
それこそが利休の心への答えであり、利休の想いを汲むものなのではないだろうか。
室町から安土桃山、そして江戸時代以降も多士済々の先人達が日本文化の素晴らしさを遺してくれている。
平和と言われる日本。
途轍もない先達に感謝しつつその文化を私なりに味わっていきたい。

ゆう

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