私は高校で出会った友人に音楽を教えられた。
クラッシックからジャズ、フォークソングからロック、そしてロカビリーから歌謡曲、洋楽まで。
ありとあらゆる音楽を聴けと。沢山のレコードやミュージックテープを貸し出された。
ちなみに私は、彼に都はるみさんのレコードを貸してあげた。
昭和の時代の曲ではあるが、都はるみさんがニュートラルにカバー曲を歌っているものだ。洋楽好きの彼曰く「日本にも凄い人がいるんだな」と。
私はジャンルに拘らない彼を見直した。
※偉そうにジャンルなどと言っても当時私の家には両親の趣味の歌謡曲と演歌のレコードしかなく、私のレコードは弟と共有する「およげたいやきくん」とか「タイガーマスク」くらいしか無かった。
とはいえ部活動を終えた中学三年の後半から、世間で人気になっている曲を少しずつ聴き始めていた私は、クラスの事情通から吉田拓郎さんや井上陽水、かぐや姫等々の当時の年頃の男子が聴くべき曲はこれだと知らされていた。
高校の友人は私をバンドに誘いたがっていた。パートはキーボードだと。
私は丁重にそれをお断りしたが、相変わらず様々な音楽または楽曲を私に聴かせてきた。
やがて私は吉田拓郎さんや陽水をはじめとするフォークソングに心を奪われた。
アルバイトで頑張って揃えたステレオコンポーネントで夜が更けるのも構わず、ヘッドフォンでレコードやカセットテープが擦り切れる程、彼らの曲を聴いていた。
いつしか友人から借りる事は止めて、自分でレコードを購入し自分のコレクションとして自己満足に浸りながら、日々夜半まで聴いていた。
やがて友人にビートルズを一通り聴かされた影響か、洋楽も好きになっていった。
まさにクイーンやキッスがスターダムにのし上がってきた頃だ。
荒井由実や中島みゆき、そしてサザンオールスターズが現れてくると、あっという間にフォークソングは過去の物となり、売れる曲は急にニューミュージックなどと言われるようになった。
時代に合せてプロデュースの内容を変える必要が有ったのだろう。
もちろん吉田拓郎さんや陽水、かぐや姫(私が中学三年の時には解散していたが)の評価や価値が下がったわけではなく、その後もヒット曲は沢山あった(かぐや姫はソロになった人と新しいグループに分かれた)。
旧かぐや姫や新たなグループ「風」の曲は、メローな曲調で当時の若者の心を男女問わず鷲掴みにしていたと思う。かくいう私も今でもカラオケ無しで歌えるほどだ。
それに対し、陽水の曲は時世を、拓郎さんの曲は哲学を感じさせた。
拓郎さんの曲で「人間なんて」という曲がある。
半世紀前の曲だ。
あくまで手前勝手な曲の魅力についてだが、正直、歌詞に凄さが有るのではないと思う。
その曲を聴いた時、歌詞とその行間にそれぞれの人がそれぞれの思いを重ねて初めて凄さを発揮する曲なのではないかと。
私はITのCAD/CAMに携わっていた頃に、大工場の職人さんの中でも神のような方に、その技を数値化すべく、研究職の先輩とその方のヒアリングに臨んだ事がある。
結果として感覚の数値化が非常に困難で、途方もない事だと痛感した。
「ゆるい」とか「かさかさ」とか、これはその方が金属の表面を触った時の表現、つまり感覚的な語彙表現なのだ。
もちろん、あらゆる発言を語彙や数字としてメモをして、その分布やレベルを計ろうと試みはした。
AIを駆使してその技の数値化を目指せば、気が遠くなるようなパターン数を、人間がやるよりは早く収束に向かうだろう。
しかし、本当の意味での数値化のゴールにたどり着けるだろうか。
例えば、拓郎さんの全ての楽曲や発言や、彼に対する評論などをデータ化しても、
「人間なんて」という、たったひとつの曲の分析さえ出来ないだろうと思うからだ。
ステレオシステムの世界で、レコードの価値が見直されている。
かつてあっという間にCDに取って代わられたレコードが。である。
単にレトロな懐古趣味ではなく、プラスティックに刻んだ溝をプレーヤーの針が捉えた信号をアンプで再現増幅して音とする。その感覚に訴える音が再評価されているのだという。
かつて自分のステレオコンポにCDプレーヤーを加え、初めてその音を聴いた時、曲とは関係なく、その音自体に「単調」「冷たい」「味がない」と感じた。
されどレコードは減少し、CD隆盛の波は変わらなかった。
もちろん、利便性は比べ物にならない。それは理解しているし享受もした。
ただアナログで音を追求(学生のアルバイトの給料でだが)した事が、空しく消えるだけでなく、何か取り返しのつかないことのように一遍の利便性だけでは贖えないような喪失感を感じた事は忘れない。
人間には心が有る。そして感動がある。
本物の感動をAIが実現出来るだろうか。
著名人の中にもAIを使わないのは愚かだとか、AIを使える事が「出来る人」への近道だと喧伝する人もいる。
それは正しい面も有ると思う。
しかし、人間は間違いながらもその力で100%を実現する可能性がある。
私は今もAIがそれを為せるとは思っていない。
ゆう