吉田拓郎さん(引退されたと聞いたので敬称)の歌に「我が良き友よ」がある。
我が良き友は中学から高校時代、毎日のように一緒に居て、始めの頃は喧嘩もし、何よりも心強い味方でもあった紛れもない親友だ。
高校は別の所に分かれたにも関わらず、毎日語り合いながら一緒に帰った。
時には、時間が足らず、どちらかの家の前で何時間でも語り合っていた。
流石に顔を見ただけで何を考えているか、気持ちまでお互いに分かるようになっていた。
友人のひとりに言われた。
お前らはどちらかが女なら、絶対に一緒になった方が良いと。
まあ、お互いに生意気に成長していたが、常にお互いの事を考えていたと思う。だからこそ、いついかなる時も相手の補間が出来た。
高校へ進む際に、私は進路を優先した。
彼は彼の剣道を成長させてくれる指導者のいる高校を選んだ。
私の高校の剣道部は、練習を一時間で終える(効率重視の部活運営)、なので時々、途中下車して彼の高校の練習に参加した。
最後は部員達の前で彼と私が模範稽古を行うのが通例だった。
ある時、彼の高校がある市内の夏の市民大会(中学生の時は私もそこに参加していた)が行われ、私は知己の先生から試合審判の依頼を受けていたが、どうせなら参加させてくれと。
運営サイドに私が時々通っている道場の寄集めチームで参加する了承を得た。
剣道の団体戦のチームは、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の五人で構成される。
私はトーナメント表も持っていたので、お互いに一回戦を勝てば、二回戦で戦えると彼に伝えた。
私のチームは高校生二名、中学生(後輩)二名、おじさんひとりだった。
彼曰く、俺のチームは優勝が当たり前だから、ちょっと相手にならないなと。
私も正直そう思った。
なので、何とか二回戦へ進めたら、お前と試合がしたいと。
彼は分かったと。
はたして大会の前日、私は当たり前のように彼の高校に出稽古に向かった。
模範稽古を試合形式で行った。
牽制と鍔擦り合い、相打ちと睨み合い。
間も無く試合時間の五分が迫る。時計係からラスト一分との声が掛かる。
彼の眼の色が変わった。私は敢えて八方眼で待ち構える。
無防備に振り上げられた竹刀。私は簡単に彼の出籠手(でごて)を刺すように捉えにいく。
しかし、彼は竹刀からその右籠手を外し、左手一本の回転を効かせた片手面を振り下ろしてきた。
私は綺麗にその面を決められた。
籠手いなし回転片手面が綺麗に決まった。
「面あり」の声で、試合形式の稽古は終わった。
技としては珍しくも無いが、素晴らしい精度とスピードだった。
その日も何やかやと語り合いながら帰宅し、その後二人で港の市場のアルバイトに出掛けた。
次の日、団体戦の一回戦、相手は市内の高校の古豪。私は中学生二人に策を授けた。
とにかく技を仕掛けさせて、受けて受けて受けまくって、鍔擦り合いからの下がり面または下がり籠手を一発で決めろと。
その試合は期待していなかった高校生(元剣道部で道場での仲間)も勝って、4-1で突破した。
中学生は高校生に勝った事で舞い上がっていたが、中学生と高校生が試合をすると往々にしてこういう事が起こる。剣さばきの呼吸(タイミング)が高校と中学で違うからだ。
また、相手には事前に中学生に負けられないというプレッシャーをしっかり与えてある。
晴れて彼の高校のAチームとの対戦が実現した。
私は彼と話し合って、お互い「中堅」のポジションで戦うことを決めた。
正直、結果は1-4でも良い。高校の最後に彼と心行くまで試合を楽しみたかった。
試合が始まり、蹲踞の姿勢から立ち上がった時、お互いに八方眼で猿鳴[響](えんきょう)という気合を発する。私はさらに自己流の酔眼に入る。
竹刀が間合いに入った刹那、彼が私の竹刀を叩き落そうとする。これが決まると相手に恥辱を与え精神的な動揺を与える。
私はスッと竹刀を引いてそれを避ける。と同時に舐めた真似をするなと面金の中から笑顔を送る。
瞬間、ふわっと竹刀の先を上げてきた。
私は空いた籠手を刺すように打とうとする。その瞬間、彼の右籠手が竹刀を離れ、左手一本の回転片手面が私の面に叩き込まれる。はずだったが、私の面は彼の竹刀の先には無く、一歩右斜めに出て彼の胴を真っ二つに切って、残心を高らかに示した。
「胴だーっ」
三人の審判の私の旗が同時に上がる。
彼は残心をつぶそうと踵を返して連続技を打ち込んできたが、悉く払い除ける。
試合は時間が有る限り二本先取制なので、二本目が始まると彼は猛然とありとあらゆる技を繰り出してくる。私はそれらの技に敢えて同じ技で応えた。
リーチ・スピード・そして身長が高い私は、一拍遅れで技を合わせても、時々私の旗だけが一枚上がっていた。
二人で所狭しとコートの端から端。三人の審判もオロオロするほど打ち合い続けた。
そして時間係が残り一分の鈴を鳴らした。
私は技を合わせる事を止め、腰を落として構えた。
彼も私の得意技は熟知している。
お互い間合いを外し、技の届かない距離で呼吸を読み合う。
間合いの外から飛ぶ。
気が付いて、払う、受ける、いなす。が、私の刺し面のスピードがはるかに上回る。
これが磨きに磨いた技だ。
「面あり」
綺麗に三本の旗が上がっている。
私のチームは、先鋒、次鋒とあっさり負けて、団体戦の勝ちは考えてなかったが、彼と私の試合を見て興奮した中学生の後輩が副将、大将と勝って、3-2で私達が勝ってしまった。
もう一度戦ったら、私達の寄集めチームは彼の強豪剣道部のAチームに二度と勝てないだろう。
その後、私は有段者の部の個人戦決勝で彼と再び相見える事を楽しみにしていた。
が、その年は福島県の四段の部の個人戦優勝者を招待しており、決勝の相手はその人だった。
私は親友が、キャプテンとして最後の試合でチームを優勝させられなかった事を引きずっているなと思った。
私はその招待した方を試合開始一分で二本の面を決めて下した。
帰り道、罰として親友に私の優勝トロフィーや賞状や記念品を持たせ、どうでもいい話をしながら一緒に帰った。
それ以来、私は彼に常に上から物を言うようになった。
殆ど私と同様の考え方・気質の彼であるが、以外と素直な一面がある。
私が偉そうに「剣道に大切なものは?」と、禅問答のような質問をする。
彼は一生懸命考えて、「やはり、心技体」などと真面目に答える。
私は「んだがらよぅ、おめぇは俺に勝てねえんだよぉ」と。
彼はムッとする。
私は「素振りだぁ、素振り」と。
そして次の年、「剣道で大事なことは?」と同じ問い。
彼は少し顔を強張らせて「素振り」と言う。うーん、俺より真面目かも。
私は「かーっ、まーだそんな所にいんのかぁー」
彼は再びムッとする。
私は「結局、何ものにも囚われない心。これだっぺよぉー」
彼は私の心を諮るように、私の顔をまじまじと見る。
「分かった」と。大人になったなー。
中学生の頃なら飛び掛かって来ただろうな。
私は社会人になって、剣道から離れてしまった。
彼は地元の子供たちや学生、警察で剣道を教えながら、仲間と切磋琢磨している。
六段から七段になった頃には、居合の道も剣道の為に修練しはじめたと。
しかし、私と合った時にはまた、「剣道には何が大事なの?」とやることは分かっているだろう。
いったいどんな答えが返ってくるだろう。
そうだなあ、「守破離」あたりが良いかなぁ。
離れてみて分かる事も多々有る。
要はそれも「回向」である。
ちなみに我が良き友は、女子力はあるのだが、繊細という言葉が身体から抜けている。
吉田拓郎さんの曲の、腰に手ぬぐいぶら下げて、~男の匂いがやってくる。感じや、
女房子供に手を焼きながらも生きている。感じが、そのままだ。
そして、俺とおんなじあの星みつめて何想う。と、遠く離れた親友を想う。
ゆう