内省の目的

内省とは、自分の内面を見つめ、考えや感情を分析するということです。
また、自己理解を深め自己成長につながる重要なプロセスでもあります。
今回は内省を行ってみて、自分の問題について原因や解決法を探ってみます。

時折、私は保身に走って自分勝手となってしまう問題を抱えています。
たとえば自分に誤りがあったとき、まるで自分に非が無いように説明をしてしまいます。
また、自己否定されそうになる恐れを感じたとき、自分にとって都合の良いように一部説明を省いたり、あえて重要な部分をぼかして抽象的な表現をしたりして、逃げ道を作ってしまう場合があります。
その多くは無意識に行っていて、他人から指摘されることで気付くことが多いです。

恐らくそれらの行動原理は「自分が間違っている」という感情から、ミスの原因や理由を他になすりつけようとしてしまっているのだと思います。自分に誤りがあるという現実のストレスから逃れるために、自分に都合の良い解釈を行って「たまたま意図が伝わらなかった」や「相手の受け取り方や聞き方理解が悪かった」ことにしてしまっているのだと思います。
振り返って気付いた点としては「頭が悪いなぁ」とか「馬鹿だなぁ」と言われても受け流すことが出来ますが、「お前は間違っているぞ」や「今の説明は矛盾していないか」と言われると、反発の意識が顔を出してしまうと思いました。

結果として、説明の矛盾を都合よく修正するために言うことがころころと変わってしまったり、些末な問題に対しても「いいえ、部分的には合っているはずです」と食い下がったりして、会話をややこしくしてしまうのだと思いました。
また、話がこじれたり自分の立場が悪かったりした時、話を早く終わらせる為に「はいはい、分かりました、もうそれでいいです」と言わんばかりに、早急に切り上げようとしてしまうこともありました。

当時、なぜ自分勝手になってしまうことがあるのかと問われて「怒られることが怖いからです」と答えたことがありました。ですが思い返すと「怒られて、間違っていると否定をされることが怖かった」のかも知れません。
そのため自己防衛として、誰と話しているときでも「自分が正しくて、なにかあれば相手が間違っている」というスタンスを無意識のうちにとってしまっていたのだと思います。

普段の報告についても、何も問題がない場合でもどうにかして間違いを犯さないように説明しようと、逆に言葉に詰まってしまうことがあります。そういった「問題がないときにも保身を優先して回りくどく説明してしまう」点も問題だと思っております。
前述の「自分にとって不都合な説明を省いてしまう」ことや「不必要に難しく考えてしまう」ことも相まって、相手にとって煩わしいコミュニケーションとなってしまっているのだと思いました。

根本的な技術面の説明の失敗は、技術的な成熟や報告能力の向上で少しずつ防げるものの、どんな人間でもいつか失敗はしてしまうものですので、そういった場合に素直に自分のミスを認める心を持つ勇気や度量を持てるようになります。
そして、間違いがあったときに指摘をしてくださることは有り難いことですので、それらを素直に受け止めて、私らしい正しい対応をするよう心掛けます。

説明が求められる技術についても、何となくのまま理解が止まってしまっている部分を早急に改めて、誤った理解や説明をしないように努力します。
任されたタスクについては、誤った理解のまま作業を進行して出戻りが発生しないように、報連相を怠らないようにして進行します。

煩わしいコミュニケーションを行い、失敗を他人に押し付けるような自分勝手な人間性では、公私問わず人が離れて行ってしまうと思います。
社会人としても、共に働くことが難しい、余計な気を遣わせる人間にはなりたくありません。

今回の内省を踏まえ、自分の問題を再認識したからには、相手を思い相手に思われる人間として成長していきたいを思います。

こう

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