父について

私は男だからかも知れないが、生涯、母親を大切にし、母親への恩を忘れないことが人の道だと考えている。ウェルカム・マザコンだ。
では父親は?
もちろん母親と同様に大切なのだが、残念ながら、母→父の順位は変わらない。

私は子供の頃、そんな父親に強いコンプレックスを抱いていた。
父は先の大戦の敗北を小学五年生で経験し、中学を出ると地元の漁師としてデビューした。三男三女兄弟の次男。15歳の父の白黒写真、船上の父は逞しく日焼けし、その笑顔が眩しい。
茨城県最北の漁港は地形的にも恵まれ、少し大きな漁船になると、その漁場は宮城県・金華山沖から、千葉県・犬吠、銚子沖までである。
また漁法によって獲れる魚は変わるが、父たちは大陸棚の高級魚を主に狙っていた。

私が父の何にコンプレックスを感じていたかというと、その明るさ、社交性、男らしさと人としての魅力だ。
私は少年時代まで、あまりにも大きな父の輝きに対し、自分を諦めていた。
青年時代の勉学やスポーツを通して精神的な転機を迎え、その機に父に近付けるかもと必死になった。

漁業の我が街では、船員は慣習として船長のことを「親分」と呼ぶ。
買い物や外食に家族で出掛けた時など、父の船や他船の乗組員と出会った時、父を「親分」と呼び、皆が挨拶してくるので、私はそれが嫌だった。

父の血液型がOで、私がAの為、それが違いの原因だろうと思っていた。
大雑把と繊細。天然と慎重。破天荒と計画的。アホと利口、これは違うか。

しかし今は、父と私の根本が全く同じだったのだと、しみじみ思う。

生涯を通して、父に叱られたのは一度だけ。
大学受験の際に、進路として「漁師になりたい」と父に話した。
それはもう40数年前になるが、父曰く「海水の温度が変わってしまった」と。その意味するところは分かる。
だから、「今から漁師になるのは親として許さない」と。
「俺はお前が可愛い。だから苦労すると分かっている道は駄目だ」と。
私が「船も海も、浜の暮らしが好きなんだ」と言うと。
始めて「なめんじゃねえ」と、怒鳴られた。

父は酒好きで、話好き。それに子煩悩が連動して、私達兄弟に色んな話を聞かせてくれた。
しかし、振り返ってみると、苦労話は一度たりとも無かった。
戦後の混乱や貧しさを嫌というほど経験したはずなのに。
そういう話は母からしか聞いた記憶が無い。

父は母と結婚していわき市の魚港で船長をしていた。
母の実家である茨城の家には、母の実母、私のばあちゃんがひとり。
近くには父の実家も有った。が、父は母と母のお腹の中にいる私を連れて、ばあちゃんと同居することを決めた。

子供の頃は、父母とばあちゃんの苗字が違うことを不思議に思ったが、父はいつも照れたようにちゃんと説明してくれない。
母に聞くと、父の優しさだと。

まあ、母の存在は越えられない父だけど、
私はより父が好きなのかも知れない。

ゆう

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