「狂」の心

獣偏の王。
「狂」
その心とは。
何とも表現としては非難されそうなコラム・タイトルだ。

私は物販の営業を2年8か月ほど、経験させてもらった。
公共工事に対応した入札に使用される、工事金額の積算(計算)システムの販売だった。
もちろん大手も有るし大手代理店も有る中で、そのシステムはサードパーティーとしての製品で、基本エンジン部を仕入れて、様々な必要データを搭載した上で宣伝販売していた。

相手は公共工事として道路などを造る建設会社だ。
先輩営業マンの話では「まず売れない」。
理由は既にちゃんとした建設会社は既に大手の積算システムを使っている。
バブルの崩壊とともに公共工事の量が削減されて、積算システムの価値が下がっている。
国・県・市町村レベルの工事に対する設計計算がマチマチで、積算結果としての工事金額が合わないので、システムの信頼性が疑われている。
等々…。
「じゃあ、この会社はどうやって(給料などの)予算を捻出しているんですか?」
「社長が大手販売会社の支店長時代に入れた積算システムのリプレイス中心だよ」
「新規では?」
「2年前に社長が山形県で1本入れた」
「そうですか」
私はそれまでプログラムシステムの開発だけをずっとやっていたが、思うところが有って営業を経験したいと、その会社の門を叩いた。
社長は、私に開発室の責任者もするとの条件で、営業をやらせてくれると言ってくれた。
開発室ではシステムの改良や改修など、そして管理方法について様々な提案をして2週間があっという間に過ぎた。

私は改めて社長に元々営業を経験する為にこの会社に入ったので、営業を教えてくれと、直談判した。
社長は落ち着いた表情で、「分かった。仕方無い。栃木でもやってみな」と。
システムのデモンストレーションは一度見た。
良く出来た製品カタログだったが、ザっとしか見ていない。
先輩営業マンが4人ほどいたので、私に与えられたデモ機は、デスクトップPCと17インチのブラウン管モニターだ。マニュアルやパンフレット、その他資料と合わせて一度に運ぶには体力を要する。
一番古い営業用バンにそれらを積み込んで、一路水戸から栃木へ。
土木事務所で県内の建設業者リストを500円で購入し、私はどこから攻めようかワクワクと緊張でニコニコしていた。

開発室をみていた2週間、定時後に電話でアポイントを取ろうとしている先輩営業の真似をして、テレアポのお手伝いはしていたが、そこに栃木は無かったので、それ以後は全くの飛び込み営業になる。

クルマを走らせながら、頭の中で営業のシミュレーションをする。
やがて、その営業を聞いているお客様の反応のシミュレーションをする。
結果、良くても体よくお断り。悪くすると門前払い。
これでは売れる訳が無い。
どうしてだ。
いみじくも先輩営業マンが言っていた売れない理由は正しい。先輩営業マンも遊んでいる訳ではないだろうし、頑張った上でそう思うのだろう。

そして何となくだが、これは中途半端な理論・理屈では売れないだろうと思えた。

閃いた。
中途半端じゃなければどうだ。
「狂」だな。
分かった。
まるで狂ったように、システムを信じる。
このシステムがお客様の為になり、お客様を助け、お客様に利益をもたらす。
その一点で、このシステムを信じ、このシステムを勧める。
それしか考えない。
売れない理由は、馬鹿な言い訳。
今、眼の前にはこのシステムしか無い。
「狂」の境地に足を踏み入れる。
「狂」に染まる。
全てはお客様の為。

名簿に印を付けた、その建設会社に向かう。途中、肩慣らしに2~3軒飛び込みで営業の練習をする。その際、相手の為に話しているのだが、自分の事を客観的に観る事しか考えていない。その為の練習だ。

営業に出掛けて、その週の金曜日に初めての契約を頂いた。
5年リースの契約で、次年度からの年会費は別途年毎のご請求となる。
値引きについては何も知らなかったので、値引きはゼロ。
売上げはシステムが300万円と次年度から会費は4年で120万円。
社長は納品の際に、新しいPCをお客様にサービスして、それにシステムをインストールして納品するようにと。
値引きについてもその時教わった。もちろん私はその後も殆ど値引きはしていない。

しばらくして社長と夕飯に出掛け。
ストレートに「どうやって売った?」と聞かれた。
私は正直に「売れるとしか思いませんでした」と答えた。
具体的にはシステムの利点や使い易さなどを説明してはいたが、本質はお客様が私の「狂」を信じたから。だと思った。
それはつまり、お客様が私に対し、「こいつは本気で俺の為に話している」ひいては、「このシステムを使えば、こいつの言う通り本物の積算が出来そうだ」と。信じ切った。

中途半端は話にならないが、「徹底的」など遥かに超えて、そもそも立ち位置が違う「狂」の境地。

単に運が良く、タイミングが味方してくれただけかも知れない。
だがしかし、私は自分を洗脳(コントロール)する術を身に付けた。
その後、県の№1~№3実績の建設会社の契約も取り、芋づる式に栃木県を制覇した。

ただし、「狂」の境地は使い方を間違えてはならない。
強力だからね。

私が物販の営業を2年8か月で離れ、システム開発の仕事に戻ったのは、やはり「狂」の境地の消耗が激しかったからかも知れない。
今でも当時の社長とは友人のような仲だ。
栃木から茨城、埼玉、そして東北とそのシステムを売り歩いて、毎日高速道路を行き来したあの仕事は良い思い出の方が多い。
営業という仕事への自信も育んでくれた。
ひとつの財産としてありがたく感謝している。

ゆう

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