叱られるうちが華

社会人は、叱られる機会が多いです。

本来、求められた仕事に百点の成果を示すことが出来れば、叱られることはありません。
しかし、始めは最良な成果物のイメージがつかず、明後日の方向に向かってしまいます。
次第にイメージが湧くようになっても、そう簡単にその形を作り上げることはできません。
言葉が足りず、技術が足りず、不出来あるいは誤った形の成果物を作り上げてしまいます。
自分の過ちに気付けるようになると、今度は間違いを恐れて手が止まってしまいます。
完璧を求めるあまり、何も知らなかった頃よりも却って時間が掛かったりもします。
その度に叱られ、満点を取れない自分の不甲斐なさに落ち込んでしまいます。

そうして、自分が叱られている時間は、とても長く苦しい時間に感じます。
ただ、上司が叱ってくれている時間は、自分と同じだけの時間を使ってくれています。
思わずゴミ箱に投げたくなるような自分の成果物を見て、指摘を言葉にしてくれています。
まだ経験の浅い自分が知ることのなかった、長年培ってきた知恵を授けてくれます。
他人の間違いを指摘し過ちを正すというのは、とてもエネルギーの要る行為です。
それでも部下を叱ってくれているのは、とても有り難いことなのだと思います。

上司にとって叱らないというのは、とても省エネルギーな選択肢です。
お互いにとって長く苦しい時間を過ごさなくて済むので疲れません。
部下の成果物から粗を探す姑のような真似をしなくて済みます。
ですが、そのままでは部下は成長することなく、組織として成立しません。

そのため「叱られるうちが華」という言葉があるように、
私は叱責の真意は期待なのだと思います。
少しでも自分の上司の期待に応えられるようになりたい、と思う反面で
どうか上司に叱られることがあっても芯まで折れないで欲しいと
今年入ってきた新卒へ指摘をしながら思いました。

こう

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