師の言葉 1

歳を重ねるごとに思い出す言葉がある。
私は子供の頃、近所でも活発な(親も手を焼く)子供のひとりだったと思うが、なぜか本が好きだった。悪ガキ仲間と他人の家の屋根に登って怒鳴られたかと思えば、ひとりで本を読んでいた。
親がそれを見込んで少年少女世界文学全集を取り寄せ、私に与えようとしたが、そのあまりの量に「しまった」と思ったそうだが、私は喜んで気付いたら全てを読み終わっていた。
それ以来、常に色々な小説類に親しんでいる。
親友には活字中毒と言われた事もあるが、それは違う。
基本的に乱読であるが、引き込まれるような一定の好みの作品にしか興味は無いのだ。

時は流れて高校生になった私は『現代国語』の授業に特段何も期待していなかった。科目担当の教師は三十代前後。初めての授業でその先生はこう言った。
「君達に言いたいことがある。この学校に入って来た君達は優秀だと私は思う。だからこそ、人として言っておきたい事がある。
 色々な友人がいるかと思う。しかし、中には困っている友人もいるかも知れない。
 理由は様々だ。そういう友人は自らそれを君達に言わないだろう。
 君達には、そういう友人に自ら手を差し伸べられる人間でいて欲しい。
 自ら、その友人の元を訪れられる人間であって欲しい。」
「おいおい、倫理の時間か」と小声で揶揄する仲間も居た。
しかし私は、衝撃を受けていた。
「優しさ」と口にするのは簡単で、誰しも自分の中にそれを確認する事は容易いだろう。
だが、それを実行するのには「勇気と覚悟」が必要で、「お前らは、それが有るか?」と言われたようで、苦い思いが胸の中に広がった。

数日後、本来なら同じ学校で学ぶはずの同級生の家を訪れた。
親の都合と言いたいが、家の仕事が上手くいかず、勉強も儘ならなかった友人。
通学にもお金をかけられず、アルバイトや家の事を優先して選んだ進学先。
私は現国の先生の言葉を胸に、今何かを話しておかなければと、ただそれだけで彼の荒れ荒んだ家を訪れた。それを見るのが怖かった自分を恥じながら。
彼は幼稚園の頃から知っている笑顔で私を迎え入れてくれた。
そして、今は母親の為にこの状況を受け入れ、ひとつの就職先を目標に、社会人になってから勉強して私を追い抜くと笑ってくれた。

語りながら、私は簡単に追い抜かれないと笑い合いながら時を過ごして、私はその家を後にした。
心の中は高校の現国の先生への感謝の思いでいっぱいだった。
私は1年次のその先生の国語の授業を真面目に真剣に受けさせてもらった。良い成績を修めて先生を喜ばせたいとも思っていた。

そして2年生になって現国の科目担当が替わった。
まあ今の言葉で言うと、チャラ男。
私はその先生を漫画のキャラクターに見立て、まことちゃんと呼んで思いっ切り虐めた。冷静に振り返ると彼には何の罪も無いのだが、クラス担任の先生に職員室に呼ばれて注意されるまで、まことちゃんには辛い日々が続いた。
きっかけは最初の授業で、とある文豪の小説の分析で、その文章の意図や思いを解説していた時に、私がその解説に反発した事が発端だ。
「その作者の真の深い思いが、なぜ先生に分かるのか。」
と、まあ今思えば言いがかりだ。

それはそれで深く反省しています。
まだ23歳の大学を出立ての新米教師の最初の授業。デビュー戦でいきなりトラウマになったと思います。
ゴメンね。

ゆう

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