酔眼の構え

「酔眼の構え」など無い。
かつて剣道をやっていた時、面の中から必死で相手を睨みつけていた。
修練を重ね、「強さ」とか「勝負」とか「勝つことの意味」を考えるようになって、宮本武蔵から千葉周作まで小説や関連書籍を漁ったりした。
肉体の運動機能と精神の形と制御も工夫したものだ。
私なりの境地として、戦う相手と対峙したときに、「酔眼」というものに行き着いた。
具体的には相手を凝視せず、半眼の状態でまるで闘気を無くしたような感じで全体を視野に入れる。その時、背中の映像まで見るように。そんな境地だ。
それを「酔眼の構え」と理解していた。
剣道でも「先の先」「後の先」「後の先の先」などの攻め方、考え方があるが、「酔眼の構え」に入っている時は、剣(私の竹刀)が相手の急所(決まり手)を打つ場面しか見えないので、それまでの攻め方・考え方の技のプロセスなど関係ない。
相手も同じ剣(竹刀)を構えている中で、ひたすら決まり手を打とうと思っても実際はなかなか決め切るのは難しい。
だから連続攻撃やフェイントなどのプロセスはとても重要になるのだが、気付いたら勝っているというのが酔眼に至る境地だ。
もちろんそれを崩してくる相手も居た。

そんなことをぼんやりと思い出して、あの時の自分もまだまだだったなと思いつつ、コンビニへ行った帰りに、酔眼ってこんなだったっけなと、半眼で歩いていたら犬のフンを踏みそうになった。
もー、ペットを飼うの良いけど、お世話はちゃんとお願いします。

ゆう

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